奈良県 桜井市
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天平時代の美仏の御光をお部屋に・・・ M-DC1.【聖林寺】国宝十一面観音光背 法相華拓本(表具前) ※シリアルナンバー付
天平時代、十一面観音様の背後は宝相華唐草文の光背がついておりました。
今は、ほんの一部を残すのみとなりましたが、優美でエキゾチックな印象があり、仏身とともに国宝に指定されています。
その光背の一部を拓本に採ったものです。
お部屋のスタイルにあわせて、軸装と額装も御用意がございます。
シリアルナンバー付きです。
特製品ですので、永劫に奉持(たも)たれ、お部屋が御仏の光につつまれることでしょう。
※聖林寺では代々「宝相華」の宝の字を「法」(仏教において最高の真理を現わす)としております。
揮毫:中興第十二世 倉本弘玄
<岡村印刷工業(株)製造>
かつて聖林寺十一面観音の背部で輝いていた宝相華文(ほうそうげもん)の光背(奈良時代)残欠の一部を拓本に採り、その貴重な拓本を元にデジタル版画「ミストグラフ(R)」にて再現いたしました。
ミストグラフ(R)は、岡村印刷工業株式会社が「ジークレー」をベースに改良を加え、1998年に販売を開始したデジタル版画のブランドです。
細かいインクが霧のように版画用紙に吹き付けられる様子から名付けられました。
ミストグラフ(R)は、国宝や重要文化財のレプリカの製作にも使われた実績があり、その確かな技術を活かして最高の品質を皆さまに提供しています。
ご協力:聖林寺
【地場産品に該当する理由】
桜井市に存在し市内屈指の有名寺院である聖林寺を広報するものであり、聖林寺の国宝十一面観音立像をデザインを施した返礼品です。(告示第5条第5号に該当)
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聖林寺

霊園山(りょうおんざん)・聖林寺は、大和・桜井の街外れ、多武峯街道がようやく山ふところに入ろうとするとき右手に見える談山山系の前山・安部嶋山の中腹にあって、静かな落ち着いた、たたずまいを見せる山寺である。すなわち、この寺は大和盆地の外周の東南端に位置する。
小高い所にあるだけに、門前から北を望む眺めは又格別である。美しい三輪山の山稜、それに箸墓など古代大和の古墳が散在する盆地の東半分が絵巻物のように展がる。ここからは奈良の都はさすがに遠いけれども若草山焼の時には赤い炎が北の空を明るく染めて燃え上がるのをはっきり認めることができる。
”紫の三輪の山並み夕ざれて 身まま欲りして この丘に立つ”
古美術界の泰斗丸尾彰三郎先生が、この寺を訪れて拝み見たかったのは、もちろん国宝十一面観音さまの優美なお姿であったろうが、ここから望む三輪山と盆地の景観も又捨て難い。

時代は流れて、戒律と祈祷の寺であった聖林寺にも拝観客が訪れるようになった。けれども、京都や奈良のように至便ではないことが幸いして、ここは観光客の喧騒には無縁である。緑なす木々に風わたる山の小寺は訪れる人に安らぎと思索の空間を保証している。境内の静寂を保つのも、あるいはこの寺の住持の務めの一つかもしれない。この寺を護るさだめを負い、経に言う「恒ニ作ス二衆生ノ利ヲ一」を契う筆者には郷土の哲学者・保田與重朗の次の歌ほど深く心に響くものはない。
”けふもまた かくて昔となりならむ わが山河よ しずみけるかも”
聖林寺 第12世住職(元住職) 倉本 弘玄
聖林寺の歴史
聖林寺の創建は古く、奈良時代の和銅5年(712)に、談山妙楽寺(現 談山神社)の別院として藤原鎌足の長子・定慧(じょうえ)が建てたとされています。
幾度か火災に遭い伽藍が焼失しますが、江戸時代中期、聖林寺の文春は女人泰産を願い、大石仏造像の願をかけて諸国行脚の旅に出ます。4年7ヶ月に及ぶ托鉢による浄財を集め、現在の本尊である子安延命地蔵を建立しました。
安産・子授け祈祷の寺として、その霊験は広く知られるところです。
慶応4年(1868)、神仏分離令による廃仏毀釈を逃れるため、大神神社の神宮寺「大御輪寺」の本尊・十一面観音立像が、住職大心上人によって聖林寺に移されました。それが現在、聖林寺に安置されている国宝、十一面観音立像です。
大切に保管されていた十一面観音立像は、明治20年、アメリカの哲学者アーネスト・フェノロサによって秘仏の禁が解かれました。以降、その美しいお姿は多くの人々を魅了しています。
「・・・(略)しかもそこには神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさとが現わされている。」和辻哲郎『古寺巡礼』より
「さしこんで来るほのかな光の中に、浮かび出た観音の姿を私は忘れることが出来ない。(中略)・・・私はただ呆然とみとれていた。」白洲正子『十一面観音巡礼』より
「さくはなの とはににほへる みほとけを まもりてひとの おいにけらしも」會津八一
国宝十一面観音様の新しい収蔵庫が完成しました

観音堂の室内の天井は宇宙を象徴する半円球の天蓋(ドーム)となり、2メートル9センチの十一面観音を、ゆとりをもってお祀りしております。
さらに、観音堂では、十一面観音は室内中央に配置され、四周をめぐることができ、今まで見ることができなかった背面や、優雅な顔の表情はもちろん、衣のひだの自然な流れ、柔らかく表情豊かな手、指の造形など、あらゆる細部を360度どこからでも、間近に拝観する事が出来ます。

新たに前室がつくられたことで、伏し目がちの十一面観音を、十分に距離をとった位置からも拝むことができるようになりました。かつて大御輪寺の時代に、双堂(ならびどう)に祀られていた当時と同じ位置から、十一面観音を拝むこともできるのです。
免震・耐震工事が施された美しい観音堂です

改修前の十一面観音をお祀りしていた観音堂は、昭和34年(1959)に造られた、我が国初めてのコンクリートによる国宝のための観音堂でした。
しかし当時は、地震などの対策はなされておらず、自然災害への対策は不十分でした。
昨今、大型の地震が日本列島を襲っていることを考慮しても、早急に免震機能を持った耐震性のある観音堂建立が望まれた為、観音堂の改修に踏み切ることにいたしました。
観音堂の改修では、構造補強および十一面観音像への免振装置の設置により、揺れの影響を最小限にすることで、最大級の地震災害にも耐えうる安全性が確保されました。
【バリアフリー】小高い所に有る 聖林寺 は、高低差が厳しいため、今までは車イスでお参りいただくのは難しかったのですが、改修された 観音堂では、裏参道を使用して、車椅子で 十一面観音 さまをお参りいただけるようになりました。
聖林寺 返礼品一覧
カテゴリ |
雑貨・日用品
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インテリア・絵画
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絵画
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- 自治体での管理番号
- M-DC1
- 地場産品類型
5号
- 地場産品に該当する理由
桜井市に存在し市内屈指の有名寺院である聖林寺を広報するものであり、聖林寺の国宝十一面観音立像をデザインを施した返礼品です。(告示第5条第5号に該当)
桜井市について
桜井市は、奈良盆地の清流を集め大阪湾に注ぐ大和川の上流、奈良盆地の東南部に位置し、面積の約60%が山間部である自然豊かなまちです。
市内北部には、弥生時代の大規模集落である纒向遺跡が存在し、邪馬台国畿内説の最有力候補地とされ、また、ヤマト王権発祥の地として、我が国の生い立ちにかかわる重要な遺跡であると考えられています。
また、日本文化の原点である相撲発祥の地、仏教公伝の地、芸能創生の地として記紀万葉に綴られています。
特に、素麺の発祥の地は桜井市の三輪であり、「三輪素麺」として全国に知られています。
桜井市では、「卑弥呼の里・桜井ふるさと寄附金」を設置し、邪馬台国のロマンに心魅かれる方や、桜井市を応援する方からの寄附を募っています。
ふるさと納税でいただいた寄附金は、纒向遺跡の調査研究、保存活用等に関する事業をはじめ、様々な事業に活用させていただいております。

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