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【特攻最前戦の地“かのや”から届ける平和への想い】太平洋戦争の歴史と命の尊さを世界に発信!

カテゴリー:伝統・文化・歴史 

main_img 達成

寄付金額 4,607,000

230.3%

目標金額:2,000,000

達成率
230.3%
支援人数
194
終了まで
受付終了

鹿児島県鹿屋市(かごしまけん かのやし)

寄付募集期間:2024年10月11日~2025年1月8日(90日間)

鹿児島県鹿屋市

プロジェクトオーナー

鹿屋市は、本土最南端へと伸びる大隅半島のほぼ中央にあり、ばらや黒牛やカンパチなどが有名な第1次産業を基幹産業とする人口約10万人のまちです。
本市には、太平洋戦争時代に3つの飛行場が存在し、日本で最も多くの特攻隊が出撃し、亡くなった歴史があります。その貴重な歴史や戦争体験者の声を次世代へ引き継ぐために、2025年の戦後80年に向けて現在様々な取組を進めています。いただいた寄附金は、戦争の悲惨さや平和の大切さを未来に残す戦後80年事業プロジェクトの費用として活用させていただきます。

未来へ語り継ぎたい、「かのやの歴史」を世界へ

戦後80年事業プロジェクト

鹿屋市内には、旧日本海軍創設期から太平洋戦争にいたるまでの貴重な資料や特攻隊員の遺影・遺書などが展示される海上自衛隊鹿屋航空基地史料館があるほか、敵機の空襲等から飛行機を守るために作られた掩体壕や特攻隊員が突撃前に送る電信を受信していた串良地下壕第一電信室など、多くの戦跡が残されています。

2025年に戦後80年を迎えますが、当時を知る戦争体験者が少なくなってきています。
この貴重な声を、未来を生きる次世代へ継承することは、今を生きる私たちの大切な使命です。そこで戦争体験談集、戦争体験者の声を残す映像制作や戦争をテーマにした創作演劇の制作などを行っていきます。
鹿屋市は、日本が歩んだ歴史を風化させず、平和な社会を享受できる幸せを次世代に引き継いでいくため、戦後80年事業プロジェクトを立ち上げました。

▲戦後間もない、鹿屋基地の様子。米軍の激しい攻撃を受け、基地は壊滅状態に陥りました。

太平洋戦争が始まり、終わった地「かのや」

全国で最も多い特攻兵1,271名の命が散った

世界でも類を見ない、多くの犠牲者を出した太平洋戦争。
その中で、海軍の重要な最前基地の役割を担ったここ鹿屋では、追い込まれた日本軍が特攻作戦を決定した「鹿屋会談」が行われ、鹿屋基地から908名、串良基地から363名の合計1,271名の若い命が太平洋の海に散りました。
また、終戦後の昭和20年9月4日には、進駐軍が鹿屋の高須に上陸。進駐軍アメリカ海兵隊主力約2,500 人が高須の金浜海岸に上陸しました。

▲戦没者を慰霊する串良平和公園

▲進駐軍が鹿屋市の金浜海岸へ降り立つ様子

今なお残る歴史的な戦争遺跡や鹿屋航空基地史料館

鹿屋市には、「物言わぬ戦争の語り部たち」として多くの戦争遺跡が市内各地に点在し、太平洋戦争の爪痕が多く残されています。
また、現役の海上自衛隊鹿屋航空基地に併設された歴史資料館である「鹿屋航空基地史料館」など、戦争の歴史に触れる多くの場所があります。

▲特攻兵の最後の電信を受信していた地下壕第一電信室

▲鹿屋航空基地史料館に展示されている零戦

戦後80年を迎えるにあたり、残すべき戦争の記憶

未来の子どもたちに「戦争の悲惨さ」と「平和の大切さ」を学ぶ機会を

2025年には戦後80年を迎え、戦後生まれが人口の80%程度になるなど、戦争を知る機会はこれからますます減少し、戦争に対する意識の希薄化が懸念されています。
また、世界にはこの瞬間にも戦争や紛争により、命の危険が脅かされている地域があります。そのような中、現在の日本の平和の背景に悲惨な戦争があったことを伝えていくことは、今を生きる私たちの責務とも言えます。

▲米軍戦艦ミズーリに突撃する特攻機(昭和20年4月11日)

▲平和学習の様子。串良地下壕第一電信室でエピソードを聞く地元中学生

寄附金の使い道

“鹿屋の太平洋戦争”をテーマに、その貴重な記憶を保存・公開します

いただいた寄附金は、戦争の悲惨さや平和の大切さを未来に残す戦後80年事業プロジェクトの費用として活用させていただきます。

・創作演劇の制作
・戦争体験談集の制作
・戦争体験者の映像制作

※目標金額を上回った場合・下回った場合も、本事業に活用させていただきます。

◆創作演劇の制作

太平洋戦争末期、日本軍が決行した決死の作戦、神雷部隊の兵器、人間爆弾「桜花」。特攻隊員が出撃前の最期を過ごした野里国民学校に、取材のため滞在した軍事記者「山岡荘八」氏の視点から描きます。命令を待つ隊員たちの姿や暮らしぶりなどをリアルに描き、幅広い世代へ「戦争とは、平和とは何か」を考えるきっかけをつくります。

▲桜花を機体の下に抱えながら飛ぶ一式陸上攻撃機

▲野里国民学校で出撃命令を受ける特攻兵たち

◆戦争体験談集の制作

戦争体験者の貴重な体験エピソードを掲載するほか、市内戦跡や歴史に関する情報、地元で活躍する戦跡ガイドの活動などがまとめられた資料冊子を作ることで、市内の子どもたちの平和学習の教材活用や市外から来られた方への情報提供として活用し、鹿屋の戦争の歴史を深く知ることができます。

▲戦争体験者のエピソードが掲載されている戦争体験談集2(R2発行)

◆戦争体験者の映像制作

戦争体験者の貴重な体験エピソードを、戦争体験者本人が伝える映像に残すことで、改めて戦争の悲惨さや平和の大切さについて考えるきっかけをつくる。

▲串良戦没者追悼式で想いを述べる人間国宝の陶芸家「井上 萬二」氏
※井上氏は鹿屋航空隊や串良航空隊の配属経験あり

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ふるさと納税とは、ふるさとや応援したい自治体に寄付できる制度です。
控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。

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結果:-

お礼の品一覧

  • 2025年01月16日 09:42

    【たくさんの寄附をありがとうございました!】230%達成!!多くのご支援をいただきました!!

     クラウドファンディングが終わり、目標金額に対して230%を超えるたくさんの寄附をいただきました。非常に多くのご支援をいただき、深く御礼を申し上げます。
     現在、今年の戦後80年事業に向けて準備が進んでおりますので、これからも変わらぬ応援をよろしくお願いいたします!!
     
    <事業進捗>
    〇鹿屋の戦争をテーマにした創作演劇
     演劇台本の内容が決まり、2月後半からはいよいよ舞台稽古がスタートする予定です。
     公演は今年の8月を予定しています。
    〇戦争体験談集
     現在作成中。令和6年度中に発行を目指します。
    〇戦争体験談映像製作
     映像対象者3人の取材が終了し、編集作業中。

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  • 2024年10月30日 08:41

    【感謝御礼】200%達成!!多くのご支援をいただいております!!

    クラウドファンディングが始まって19日目で目標金額の200%に到達いたしました。非常に多くのご支援をいただき、深く御礼を申し上げます。
     目前のネクストゴールに向かってまだまだ頑張りますので変わらぬご協力・ご支援をよろしくお願いいたします。

    写真:第五航空艦隊司令部壕
       日本本土を守るため、沖縄への攻撃などを行う部隊として1945 年2 月に作られ、
       その中心部が鹿屋に置かれました。

    現在制作を進めている戦争体験談集には、鹿屋と太平洋戦争に関係するエピソードを多数掲載予定です。
    <戦時中のエピソード(一部抜粋)>
    - 司令部壕で建設を指揮(元海軍2等技術兵曹Sさん) -

     私が中隊長として任されたのは地下壕造り。赴任当初は、これが第五航空艦隊の司令部の壕になるということは知りませんでした。隊長から「シラスは崩れやすいから掘るのは難しい」と言われましたが、「私はシラス台地で育った男だから、小さい頃から扱いは慣れている」と答えたのを記憶しています。
     工事がまだ半分も進んでいない頃から、第五航空艦隊司令部の機能が地上から徐々に地下壕へと移ってきて、軍人と高等女学校挺身隊員らが出入りするようになりました。
     地下壕の近くに三角兵舎もあり、出撃前の特攻隊員も多く見ました。彼らと言葉を交わすことはほとんど無かったのですが、ある時、名も知らぬ特攻隊員が、「この戦は勝ちっこないが、君は命を大事にして長生きしなさい」と私に言い残して、飛んでいきました。地下壕の中で涙をこらえながら、ただただ手を合わせて拝むしかありませんでした。
     終戦時は人吉にいました。混乱の中、駅は列車を待つ人でごった返し、列車の屋根にも無数の人々がしがみ付いていました。私は目の前に止まった郵便車両に死にものぐるいで乗り込みました。車両では、あの混乱の中にあっても、2人の職員が郵便物の仕分け作業をしており、この時はさすがに頭が下がる思いでした。私は車中で難を逃れ、故郷に生きて帰ってくることができましたが、列車の屋根にしがみ付いていた多くの人々は、トンネルで命を失ったと思います。

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  • 2024年10月22日 08:48

    ★目標達成★多くのご支援ありがとうございます!!

     クラウドファンディングが始まって9日で目標金額を見事達成することができました。非常に多くのご支援をいただき、深く御礼を申し上げます。
    これを受けて、さらに鹿屋市はネクストゴールに向かって戦後80年事業のさらなる推進に取り組んでまいりますので、変わらぬご協力・ご支援をよろしくお願いいたします。

    写真:桜花の碑
    人間爆弾と言われた「桜花」が出撃したのは全国でも鹿屋だけ。特攻前の最期を鹿屋の野里国民学校で過ごした神雷部隊を想い、元特攻隊員の小城久作さんが、旧海軍鹿屋飛行場(現:海上自衛隊鹿屋航空基地)近くの野里国民学校跡地に慰霊碑を建立。当時、軍の報道員として記録を残した作家の山岡荘八氏が「桜花」の文字を揮毫しました。

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  • 2024年10月18日 10:54

    戦争体験者の貴重な声を取材しました!

     クラウドファンディングが始まって約1週間で目標金額の80%を達成することができました。非常に多くのご支援を本当にありがとうございます。
     本年予定している戦争者の貴重な記憶を保存する映像制作の事業が進んでいます。
    先月は千家茶道の祖「千利休」の子孫でいらっしゃる裏千家第15代家元「千玄室」大宗匠の取材を行い、
    その貴重なエピソードを聞かせていただきました。作成映像は来年度公開予定ですが、戦時中のリアルな話をぜひ皆さまにも見ていただきたいです。

    ※千玄室大宗匠は、串良基地での赴任経験があることから、亡くなった戦友を想い、これまでに3度鹿屋市を訪問され、平和を祈念する献茶式を執り行っていただきました。
    写真左:取材の様子(令和6年9月20日)
    写真右:平和祈念献茶式(令和6年9月21日)

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  • 2024年10月15日 17:32

    クラウドファンディングが始まりました!

    はじめまして。鹿屋市ふるさとPR課です!鹿屋市では、来年、戦後80年を迎えるにあたり、鹿屋の戦争の歴史をこれからも語り継いでいくために、様々な取組を計画しています。進捗情報に加え、鹿屋と太平洋戦争の深い関わりについてもご紹介していきたいと思いますので、応援よろしくお願いいたします。
    写真:太平洋戦争により亡くなった方を祀っている小塚公園。908名の名前が刻まれています。

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鹿児島県鹿屋市

空前絶後においしい街かのや
鹿児島県の大隅半島、そのど真ん中に位置する、自然豊かな街が「鹿屋(かのや)」です。 農業や畜産が盛んなこの街は、日本一の和牛、生産量日本一の鹿児島うなぎなど、「おいしい」ふるさと納税の返礼品があります。 また、その暮らしやすさから、人口約10万人の街で合計特殊出生率1位、学校や病院も充実しているなど、暮らす場所としても、おいしい街です。 そんな豊な自然のなかで、ゆっくり、じっくり育てられた、黒毛和牛や黒豚を中心とした農畜産物をお礼の特産品として提供いたします。