【「月桃」歌碑建立プロジェクト】平和の願いが込められた「月桃」の歌碑を建立し、平和への思いを歌い継ぎましょう
カテゴリー:伝統・文化・歴史
寄付金額 344,000円
目標金額:2,000,000円
- 達成率
- 17.2%
- 支援人数
- 36人
- 終了まで
- 受付終了
沖縄県西原町(おきなわけん にしはらちょう)
寄付募集期間:2022年2月16日~2022年5月16日(90日間)
沖縄県 西原町
西原町は復帰50周年記念として「月桃」歌碑建立事業を立ち上げました。「月桃」は、沖縄戦全戦没者を追悼し、平和を願う歌として、県内外で広く国民に親しまれています。
全国の皆さんの思いを結集し、平和の大切さを「後世に語り継ぐ強い意志」を「石」に刻み、恒久平和を希求する為に「月桃」の歌碑を建立したいと思います。
必要な経費は町内・県内・全国の皆さんからの募金で充当いたします。ご支援とご協力のほど宜しくお願い致します。
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控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。
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沖縄全戦没者を追悼し平和を願う歌「月桃」
「月桃」の歌は、沖縄全戦没者を追悼し平和を願う歌として、県内外で広く歌われてきました。1982年に沖縄県西原町在住の海勢頭豊さんが作詞・作曲したこの歌は、全国各地のコンサートで歌われています。
映画「GAMA-月桃の花」の主題歌になり、さらに1996年にはTBS系全国ネット「筑紫哲也 NEWS23」のエンディングテーマにも使われたことで、広く国民に知られることになり、現代まで親しまれています。
今回、本町から「月桃」の歌に込められた平和への願いを発信し続けるため、文教のまち西原町の願いを込めて「月桃」の歌碑を建立するプロジェクトを立ち上げました。
また令和4年は、戦後のアメリカ占領時代から日本に復帰した昭和47年から50年となる区切りの年です。このプロジェクトは、西原町の復帰50周年記念事業の一環として取り組んでいます。
文教のまち西原町から、平和への願いを込めて歌い継いていきたい
「月桃」は平和を願って県内外で多くの方に歌い継がれてきました
曲を作った海勢頭 豊さんは、『「月桃」は、子ども達が歌いやすいように明るいメロディにした。この歌が歌われ広がり、子供達が大人になっても歌い継がれている事はうれしい。この歌は、「恒久平和」を希求する沖縄の肝心(ちむぐくる)だと思う。今後どのような苦難な時代を迎えても、この「月桃」の歌を歌い続ける勇気があれば、平和世(へいわゆー)は作れると信じる。平和な時代を作るためにこれからも皆さんに歌って欲しい』と語ります。
海勢頭さんの思いが伝わり、「月桃」は6月23日の慰霊の日が近づくと各地の小中学校などでよく歌われ、広い世代に愛され続けている歌です。
沖縄に刻まれる思いで、戦の記憶、悲惨な戦争と平和への思いからできた曲。明るい曲調の中に、戦争への深い悲しみ、平和への思いがつづられ、誰もが共感して口ずさめるような優しい曲です。
コンサートで歌われた「月桃」
地元地域の有志が集まって、歌碑建立に向けた取組みをスタートさせました
地元の思いを県内外に広く発信して、平和への思いをたくさんの人たちと共有したい
活動主体となっている「月桃」歌碑建立実行委員会は、地域から歌碑建立への強い思いがきっかけとなり、令和4年1月7日に結成しました。
前の沖縄県議会議長を務めた新里米吉さんが委員長に就任し、坂田自治会の会長をはじめとした地元のみなさんが委員として参加。海勢頭さんご本人も相談役として協力しています。
また賛同者代表として、現職の崎原盛秀西原町長のほか上間明前町長など、歴代町長も名を連ねています。
寄附金の使い道
全国の平和を願うみなさんの思いを結集し、平和の大切さを「後世に語り継ぐ強い意志」を「石」に刻み、恒久平和を希求する歌碑を建立いたします。
町内・県内・全国のみなさんからの寄附金を付金を活用し、「月桃」の歌碑の建立に大切に活用させていただきます。
【事業計画】
令和4年1月7日 実行委員会 結成
令和4年4月ごろ 歌碑建立の工事着工、6月中の完成、除幕式を目指しています。
※目標金額に達しなかった場合、予算の範囲内で事業を実施いたします。
※目標金額以上の寄附をいただいた場合、記念品の作成や沖縄の平和事業や活動への支援に活用します。
「月桃」歌碑建立実行委員会 関係者からのメッセージ
(右から)「月桃」歌碑建立実行委員会の新里 米吉委員長、作詞・作曲者の海勢頭 豊さん、崎原盛秀西原町長
「月桃」歌碑建立実行委員会委員長 新里 米吉
「月桃」歌碑建立実行委員会の委員長に就任した新里米吉です。この度、海勢頭豊さん作詞、作曲の「月桃」の歌碑を建立する取り組みとして西原町坂田ハイツに「月桃」歌碑建立実行委員会を立ち上げました。
海勢頭豊さんは若い頃から琉大にギタークラブを創設するなど、音楽活動を活発に展開してこられた先輩です。ギターの他に作詞、作曲を行い、歌手としても活動されております。作品の中でも特に「月桃」と「喜瀬武原」は、多くの方に親しまれ歌われています。
とりわけ「月桃」は、6月23日の西原町平和音楽祭でフィナーレに参加者全員が謳ってきた歌です。また、沖縄県全戦没者追悼式でも小学生によって歌われていますし、6月になると平和学習として県内小中学校から月桃の歌が聞こえてきます。それから「月桃」は「GAMA月桃の花」の主題歌で、1996年筑紫哲也ニュース23のエンディング曲としても長く全国放送され、全国の皆さんに愛され親しまれてきました。
西原町坂田ハイツでは2年前から「月桃」歌碑建立の声があり、昨年の町議会で坂田ハイツ在住の宮里芳男議員が西原町の復帰50周年事業として「月桃」歌碑を建立する提案をして、承認されました。沖縄戦の体験者が少なくなる中で、沖縄戦の実相の風化が危惧されていますが、「月桃」の歌碑の建立は、悲惨な沖縄戦を語り継ぐことになります。何卒、多くのみなさまに本事業へのご賛同とご支援を受け賜わりますよう、切にお願い申し上げる次第です。
「月桃」作詞・作曲者 海勢頭 豊さん
「月桃」は、復帰10年目の1982年6月に作った歌です。西原町の坂田ハイツに住む私は、某テレビ局の「慰霊の日」特番を手伝い、本島南部の激戦地に点在する一家全滅の屋敷跡を訪ね歩いていました。その時、誰もいない屋敷に咲いている月桃を見て、歌詞とメロディが同時に浮かんできました。沖縄に「慰霊の日」が何故あるのか? 当時、沖縄戦を思い出したくない、語ることもできない大人達の悲しみを、子ども達が元気に歌い上げて平和に繋げるよう、明るいメロディにしました。
幸い「月桃」は、毎年6月になると県下の小中学校で歌われるようになり、又、1995年度制作映画「GAMA-月桃の花」の主題歌として、全国の子ども達も歌うようになりました。映画と「月桃」は、今も本土の中学校、高等学校の平和学習や沖縄修学旅行の事前学習教材として上映され、歌われています。
この度「月桃」の歌碑が西原町復帰50周年記念事業として建立する運びになり、喜びにたえません。西原町も住民の半数が命を失った沖縄戦。そこで、2001年以降、毎年「慰霊の日」の夕刻には運動公園に集まり「西原町平和音楽祭」を開催し、みんなで「月桃」を歌い恒久平和を祈って来ました。歌碑建立後は、町内のみならず県内外から多くの子ども達が訪れて、歌声の響く日が来ることを願っております。
「月桃」歌碑建立プロジェクト 賛同者 西原町長 崎原 盛秀
海勢頭豊さんが作られた「月桃」は、子どもからお年寄りまで幅広い世代に浸透し愛されている、平和への願いが込められた歌です。西原町内の小中学校では、子どもたちが毎年6月の平和学習の機会に「月桃」を歌い、歌を通じて平和を学び、考える機会となっています。
これからの時代を担う若い世代に向けて戦争の悲惨さや平和の大切さを引き継いでいくのは、西原町のみならず、県内外で重要な課題です。歌碑建立実行委員会が取り組む本プロジェクトは、西原町にとってもこれからの平和行政に関する取り組みに大きく寄与するものと考えております。
西原町長として今回の歌碑建立事業に賛同し、しっかりと取り組みを支援していきます。今回のクラウドファンディングをともに成功させていきたいと考えておりますので、ぜひ多くの方に伝えていただき、支援の活動を広げていただきますよう、よろしくお願いします。
「月桃」歌碑建立実行委員会より
「月桃」歌碑建立実行委員会では、今回の活動を通して平和を愛する心を子どもや孫たちをはじめとしたこれからの社会を担う世代に向けて永く醸成していくため、歌碑建立後も取り組みを継続していこうと考えております。
【「月桃」歌碑建立実行委員会について】
〒903-0117
沖縄県中頭郡西原町字翁長468番地 坂田ハイツ自治会館内 「月桃」歌碑建立実行委員会事務局 電話 098-946-5332/FAX 098-943-0848/メール gettoh2022@gmail.com
現在進捗情報はありません。
沖縄県西原町
県都「那覇市」に隣接する西原町は、稜線のなだらかな運玉森(うんたまもり)を背にして広がる西原平野、緑豊かな丘陵地帯より雄大な太平洋を望むことができます。
風光明媚な地勢に恵まれた西原町は古くから純農村として栄えてきました。昭和40年代頃から住宅団地や各種企業の立地、大学(琉球大学・沖縄キリスト教学院大学)の移転等によって、急速に都市化が進行し、県下有数の人口急増地域として日々活況を呈するようになりました。また、各種産業進出により今では県内有数の工業集積率、出荷額を誇っています。
また、本町は幼児教育から大学教育までの一貫した教育施設に恵まれており、すべての町民が生涯を通して学び合い、豊かな人間性と文化を創造する『文教のまち西原 』 を目指しております。
そんな西原町は、去る沖縄戦の激戦地です。住民の約半数に及ぶ尊い生命と多くの財産、そして貴重な文化遺産や自然を喪失した経験から、町民の反戦平和を希求する心はとりわけ強いものがあります。戦後75年以上が過ぎ、本土復帰50年を迎え、唯一の地上戦を体験した地域住民として、戦争の記憶と平和への思いを次世代に繋げるため、平和への思いが込められた「月桃」の歌碑建立に取り組みます。
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